天地人 三条編改③

【三条城のその後】
元和二年(1616)「市橋長勝」が「大阪夏の陣」の功績により
4万1300石の加増移封となり三条城主となる。
元和六年(1620)「勝長」は亡くなり
、養子の「長政」が後を継ぐが、養子という理由で2万石に減らされ、
同年のうちに仁正寺に移封される。
その後「稲垣重綱」が城主となるが元和九年(1623)大阪城城番となり転出
出雲崎代官所が支配する事となったが、寛永二年(1642)長岡藩「牧野忠成」により
三条城は、取り壊しとなった。
慶安二年(1649)出雲崎代官所の支配を離れ、村上藩の領地となった。
【三条城は何処にあったのか?】
三条城(三条嶋城)があったとされるのは、信濃川と中之口川に挟まれた
文字通り島状の地形の旧競馬場付近であったと見られています。

三条嶋城.jpg
江戸時代に入ってから河道変化で三条嶋城は信濃川本流に侵食され、
元和二年(1616)に「市橋長勝」が、新たに新・三条城を築く頃には
原型を留めぬ程崩壊していたようである。
【新・三条城は何処にあったのか?】
現在の三条小学校、三条公民館の辺りに新・三条城は造られたようだ。
旧古城町、裏館など城に関する町名が残っているのもそれを物語るのではないか。
しかし、「市橋長勝」が新・三条城を造り始めてから僅か15年で三条城は廃城となってしまう。
三条城地図.jpg

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