天地人 三条編改 最終話

【あとがき】
「御館の乱」は、三条城の落城でほぼ終結したとされる。
室町時代から三条を治めたのは山吉氏だっが、
山吉豊守が御館の乱が始まる前年に亡くなると、
京都出身の神余親綱が登用されて城主となっていた。
親綱は景虎を支援する。しかし城主となって日が浅く、
家臣は木場城に更迭された山吉氏時代の者ばかりで掌握出来ずにいた。
親綱は家臣の裏切りに遭い、三条城は内部崩壊し落城。
親綱は天正八年(1580)自刃したとされるが、その記録や墓は未だ見つかっていない。
景勝は天正八年(1580)七月、戦後処理で、本成寺に書状を送る。
「代々与えられていた寺領をこれまで通り保証する」という内容だった。
本成寺には景勝だけでなく、謙信らの直筆の書状が数多く残り、
文政六年(1823)「上杉家御判物」という巻物にまとめ、景勝の書状と共に、
景虎が「御館の乱」以前に書いた年賀状の返事とみられる書状も収まっている。
本成寺黒門はいつの時代の物かは分らないが、三条城の移築城門と伝えられている。

城門.jpg
三条左衛門定明は活躍した時代が平安期から戦国時代まで諸説あり、
三条市東裏館の定明寺に正中二年(1325)に奉られているが、
敗戦の将を表立って供養できず、別人の名前を借りた可能性もあるという。
もしかしたら、神余親綱の墓でもあるのかもしれない。

定明寺.jpg
六角凧三条左衛門.gif
いずれにせよ、三条左衛門は、三条名物「六角凧」にも描かれるように
三条を代表する武将であり、現在でも三条の英雄で有り続ける事と思う。

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